手づくりの老舗・佐田商店のきりたんぽ

版画家 勝平得之

版画家 勝平得之(1904-1971)さんの概要と佐田商店とのご縁

勝平得之さんは生涯秋田を離れることなく、秋田の自然と風俗を描き続けた木版画家。

家業である紙漉き(かみすき)業、左官業の傍ら絵を書いていたところ、竹久夢二の絵に惹かれ浮世絵版画を始める。

同時に色刷版画の研究をし、1928年に自画、自刻、自刷の彩色抜法を完成させ、以降、故郷秋田の情景を描き続ける。

1929年に日本版画協会展に「外濠夜景」、「八橋街道」が入選。
その後数々の展覧会に多数入選し、国内に名を轟かせる。

1935年秋田県を訪れたブルーノ・タウトと知り合い、作品が世界に紹介された。
ケルン東洋美術館には代表作およそ70点が保存されている。

秋田県文化功労章、秋田市文化章、河北文化賞も受賞している。

版画家 勝平得之さん

勝平 得之氏ご長男 勝平新一さんへのインタビュー記事

雪国に咲いた孤高の芸術 版画家の父・勝平得之を語る

おやじは口数が少なく、黙々と仕事をする男でした。食事の時もあまりしゃべらず、子供のことは母親まかせで、典型的な仕事一本の明治の人です。また、私たちに版画を教えることもありませんでした。昔は先輩の背中を見て技術を盗んで一人前になる世界でしょ。おやじとすれば、子供たちにその才能がないと見抜いていたし、版画で食べる世界の苦労も知っていたので、制約してはいけないと思ったのだと思います。それもあり、子供たちはそれぞれ、印刷会社勤め、高校の教諭、銀行員といった感じで、版画の世界は知らないままです。

おやじの母親はおやじが13歳の時に亡くなり、それ以来、おばあちゃんに育てられました。勝平得之の作品には昔の行事の風景・風習の絵がとても多いのですが、祖母が秋田の古きよき風習を教えたという背景があるのです。戦前・戦中を通じて、祖母は勝平得之が版画だけではなかなか食べていけない状態でしたから、経済的にも支援してくれていたようです。

勝平得之氏ご長男勝平新一さん

勝平得之の版画が知られるようになるきっかけは、ドイツの建築家ブルーノ・タウトウや藤田嗣治が秋田を訪れ、勝平の作品を見て、高く評価したことです。

ブルーノ・タウトウや藤田が秋田に来ることが決まった折に、観光案内人になってくれないかと県から要請があり、得之は秋田のあちこちを案内しています。タウトと藤田から「秋田には素晴らしいものがある」と褒めてもらい、得之は「秋田の良いものを残したい」と言う気持ちがさらに膨らんでいったのだと思います。

版画を始めた頃の作品はモダンな作風で、風俗版画の切り口ではありませんでした。しかしブルーノ・タウトウと藤田嗣治との出会いで、自分がすべきテーマがくっきりと見えはじめたのだと思います。

それ以降、得之は秋田の数々の風習を版画に残すようになります。作品にある「露踏み」などの風習は、現代の秋田にはもう残っていません。勝平得之の作品には「秋田を残す」という意味と役割があると思います。

私が一番好きな作品は「収穫」です。田園での生活に村の皆さんの交流があり、のどかでほのぼのとして、そこには文化と愛が感じられます。初期の作品ですが、構造も自由で奥行きがあります。この時期の作品には力があるので、見飽きることがありません。

勝平得之氏ご長男勝平新一さん

佐田商店との出会いの中で

佐田商店の社長さん(佐田博)と出会い、もの造りの本質として商業的大量生産ではなく、一点一点を丁寧に、「先様へ思いをお届けする気持ち」で商売に取り組んでいるところが、父の版画に向けた思いと共通していると感じました。

きりたんぽは、お米が原料で作られる伝統食です。父の秋田の米作りを基本とした風俗を記録に残した思いを、佐田さんのきりたんぽを通じて現代の日本人にも「秋田の風習」をお伝えてくださる心を感じ、今回、佐田商店さんに勝平得之の作品を使用していただきたいと、お願いした次第です。

きりたんぽという秋田の収穫の慶びを、勝平得之の作品からもご堪能いただけると、きっと父も喜んでくれると思います。ありがとうございました。

佐田商店で使用させていただいている版画の紹介

版画の解説は「勝平得之全作品集」(秋田文化出版社、解説 相場 信太郎氏)を引用

<米作四題(中版) 稲かり(秋) 部分>1951年(昭和26年)作

商品同梱リーフレットに使用

まぶしい日ざしの中に、稲を刈る女たちのカマの音がひびき、刈り跡に真新しい切り株がしま模様うを描く。刈り取った稲は男たちの手で運ばれ、間もなくたんびには穂にょの列ができてゆく。
(この作品は海外展に招待出品するため制作した。大判「米作四題」の作品が大きくて輸送できず、構図を変えて新たに作画している。)
※日本版画協会展出品。27.2×66.5cm

店舗にも掲示してあります。

「キリタンポ」をパネルで掲示。米作四題(大判)はのれん風に布に印刷し、四季で掛け替えております。

<収穫>1933年(昭和8年)作

2020年9月より弊社商品リーフレットに使用

空高く晴れてたんぼ一面は黄金色。農家の労苦がむくいられて稲はたわわに首を下げる。
刈り入れどきは目が回るほど忙しいが、昼食の休みには一家団らんの楽しい風景がくり広げられ、収穫の喜びがあふれる。
※日本版画協会展出品。1936年、37.6×52.2cm

 

<梵天奉納之図>1931年(昭和6年)作

2021年2月 寒中御見舞はがきに使用

秋田市赤沼の三好神社の祭典に近村から奉納するもので、幣束の変化したものという。
若者たちが先陣を争って梵天を奉納する光景は男性的で勇壮である。
※新興版画展入選。27.4×39.4cm

<雪むろ>1932年(昭和7年)作

2020年2月 寒中御見舞はがきに使用

雪むろは踏み固めた雪の山をくり抜いてつくる。入口には雪むろづくりの雪かきや雪べらが立てかけられ、火鉢や鉄びんを運んだ箱ぞりもある。正面のはき物は、ボックリに二本のすべりがねをつけた女の子のドッコ。
※日本版画協会展出品。29.3×39.3cm

<ナマハゲ(男鹿北浦地方 正月の奇習)>1940年(昭和15年)作

2019年2月 寒中御見舞はがきに使用

男鹿半島に伝わる奇習で、年越の夜、鬼面をかぶりミノをつけたナマハゲが、子どものいる家々を回り「泣く子はいねが、ウォー」「いうことをきかない子はいねが、ウォー」とどなりながら、包丁を振り回しておどす。礼装して出迎えた主人は「みんなよい子だ、ゆるしてけれ」といって鬼をもてなす。怠けぐせをいましめる荒神にふさわしい行事である。
右から、ナマハゲ、雪中を行くナマハゲ、ものかげにかくれる若いヨメと子ども。
※日本版画協会展出品。右から 39.7×15.0cm、39.7×29.7cm、39.7×15.0cm

<河畔雪景>1934年(昭和9年)作

2018年2月 寒中御見舞はがきに使用

川から吹き上げる風でたまった雪が、うねをなしている町はずれ。道ばたにゲタ屋や川ザカナの小料理屋が店を開いている。せまい雪道に幾条も続くそり跡、橋畔の人物などにふぶきのあとの安らぎが見られる。
※光風会展入選。37.6×52.2cm